IAUが24時間走をウルトラランニングの主要競技種目と位置づけて世界大会を本格的に主催し始めて第8回となる2010年大会は、通算5回目の欧州での開催となり、初めてウルトラマラソンが特に盛んなことで知られるフランスで行なわれた。会場となったブリーブはフランス中南部に位置する瀟洒な町並みが美しい比較的小規模な地方都市で、大会は町を挙げての一大イベントとして大いなる盛り上がりを見せた。
今大会は32カ国を代表する女子81人、男子153人の234人のエントリーがあり、いずれも24時間走の世界大会としては過去最高の数字となった。日本チームは男子6人と女子4人の計10人中半数の5人が初出場で、チームの雰囲気もフレッシュな活気を感じさせた。特に、レース前日のフラッグパレードや開会式は初体験の選手には深く印象に残った様子であった。団体6連覇のかかる男子チームにおいても、ほどよい緊張感を持ちながらも選手は食事、睡眠ともにしっかりとることができて、レースに向けての不安は感じさせなかった。
大会当日の天気は前日までの雨模様からは好転し、気温12℃程度の曇り時々晴れと長距離走には好都合となった。スタートは変則的で、町の中心部から200mほど走ってから約1253mの公園内に特設された本ループに入る。コースのほぼ半分がダートで、かつ多くのコーナーやカーブ、さらには高低差1~2mのアップダウンを含むテクニカルなコースレイアウトであった。
日本チームのエースの一人である井上真悟は、優勝と世界記録更新を強く意識してトレーニングを積んでレースに臨んできており、実際にスタート直後から世界的に有名なウルトラランナーであるアメリカのスコット=ジュレックのキロ4分10秒という非常に速いペースにも果敢に付いていった。
2時間もすると3月の100kmアジア選手権で優勝を飾った韓国選手やスペインの選手らを含む集団は徐々に崩れ始めて、井上もマイペースに落として様子を伺う展開となったが、3時間になる前には逆転して先頭に立つことになり、早くも追われる立場となった。小澤和彦も好調で、一時5位にまで順位を上げてきた。その他の日本の選手達は、概ね上位のハイペースに捉われることなくマイペースを保って着実な走りを進めた。
井上はジュレックに1周差のトップで50kmを3時間45分前後で通過し、その後もほぼ平均キロ5分を維持して100kmは7時間50分を切り、世界記録への可能性を残した。
序盤にオーバーペース気味に飛び出した小澤は脚に変調を来たして大きくペースダウンを余儀なくされたが、代わって昨年、一昨年と連続銅メダルの境祐司が8時間の時点で6位まで順位を上げてきた。さらに、安孫子亮、竹田賢治、本田正彦らも堅実な走りで240kmを裕に超える記録が期待されるペースを刻んで順位を上げてきた。
一方、女子は元100km世界チャンピオンでここ数年は24時間走で常にメダル争いに絡んでいるモニカ=カシラギ(イタリア)を昨年の優勝者で地元フランスのアン・セシル=フォンテーヌが追いかける形となった。
日本女子選手は序盤に長瀬陽子が元気良く飛び出したが、大会前の交通事故のために練習量、体調が不十分だった影響か、一気に疲れが出てペースを落とした。逆に3年ぶり6回目の出場となった加村雅柄はベテランらしくしっかりとした足取りを刻んだ。今回の日本女子チームのエースである白川の作戦は前半抑えて後半に勝負をかけるというもので、その通りの走りを続けながらも着実に順位を上げた。
フランスではサマータイムを採用しているため夜は9時過ぎまで明るく、ランナーにとっては助かる。中間点の12時間経過時で井上は149km超を走って12時間走のアジア記録を更新し、2位のジュレックには4周差をつけたが、後半の強さに定評のあるジュレックの追い上げを常に恐れて緊張感を緩めることなくさらに差を広げようと攻めの走りに徹した。また、本田、安孫子の両選手もまだまだ元気でさらに順位を上げた。女子は、フォンテーヌが本領を発揮して1位を独走し始め、白川も122km超の好ペースで8位に入ってきた。
後半になって多くの選手が苦戦する中、日本選手の一部にも厳しいレースとなっていった。
兼平八寿子は幾度となくエイドテントに入ることが増え、胃を荒らした長瀬に至ってはメディカルエリアでの長時間の安静を強いられた。
一方で、境は中盤も粘って3位にまで順位を上げて3年連続メダルが見えてきた。また、本田、安孫子の頑張りにより、日本男子は遂に14時間過ぎに団体トップに踊り出て、後半に勝負強い日本チームの面目躍如ともいえる展開となった。
深夜から夜明けにかけては気温がかなり下がり、ほとんどの選手がジャケットを着込んだ。寒さに震えるサポートスタッフにも酷な状況となったが、日本選手の諦めない走りに勇気をもらい一睡もせず、座ることすらもなく選手を支えた。今大会からのルール変更で補給方法が制限されたが、日本チームの対応はそつが無かったと言えるであろう。
終盤になっても先頭の井上は気持ちを緩めることなく着実にジュレックをラップして差を5~6周に広げ、力でねじ伏せて見事に初出場初優勝を飾った。記録も2008年の世界大会(韓国)で関家良一がマークしたアジア記録を400m弱更新する273.708kmに達した。ラスト4時間になって、境はイタリア選手の猛烈な追い上げにあい逆転を許したが、なんとか4位はキープした。本田はここで2時間ほどペースアップを試みる勝負に出て7位まで順位を上げた。反動でラスト2時間は我慢の走りとなったが、自己ベストを僅かに更新した。また、安孫子は240kmを超える大幅自己ベストの素晴らしい走りを見せて周囲を感動させた。女子の白川は一時5位が狙えるところまで来ていたが、他国のトップ選手の終盤の勢いにはかなわず、それでも220kmをクリアして7位になる健闘であった。その他の日本の男女選手も最後まで諦めない代表にふさわしい走りをした。
今回の日本チームは、サポートスタッフの役割分担をある程度専門化させ、監督、ヘッドコーチ、エイドコーディネーター、コンディショニングコーチなどで構成する体制で臨んだ。果たして日本男子は見事に団体6連覇を達成し、選手層の厚さと組織力の質の高さをふたたび世界にアピールし、他国チームからも多大なる感嘆と賞賛をいただいた。 今世界大会も洗練された運営と多くの各国のトップアスリートの参加により素晴らしい大会となり、日本チームのメンバーも皆が大きな感動を得た。
今回の日本代表選手とて、決してフルマラソン等で特別な能力を持っているわけでない。一般の市民選手でも思わぬ超長距離種目の才能が潜んでいる可能性はある。さらに多くの日本選手がこのような舞台での活躍を目指すことで、ウルトラマラソンの強豪国日本の伝統が引き継がれていくであろう。
■競技結果 個人
【男子】
1. 井上真悟(東京陸協) 273.708 km
2. Scott Jurek(アメリカ) 266.677 km
3. Ivan Cudin(イタリア) 263.841 km
4. 境祐司(club MY☆STAR) 258.907 km
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15. 本田正彦(M@HIRATSUKA) 246.063 km
20. 安孫子亮(ソニー厚木RC) 242.661 km
37. 竹田賢治(club MY☆STAR) 225.885 km
51. 小澤和彦(横浜中央走友会) 220.187 km
(出走151)
【女子】
1. Anne Cecile Fontaine(フランス)239.797 km
2. Monica Casiraghi(イタリア) 231.390 km
3. Julia Alter(ドイツ) 230.258 km
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7. 白川清子(神奈川陸協) 220.986 km
25. 加村雅柄(24時間走チームJAPAN) 194.656 km
42. 兼平八寿子(大阪陸協) 178.251 km
60. 長瀬陽子(築上町陸協) 155.555 km
(出走78人)
■競技結果 団体(各国上位3選手の合計距離)
【男子団体】
1. 日本 778.678 km
2. イタリア 758.932 km
3. アメリカ 757.468 km
【女子団体】
1. フランス 685.800 km
2. イタリア 658.112 km
3. オーストラリア 654.863 km
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6. 日本 593.893 km