■櫻庭 健
団体戦で3位以内を目標に掲げ、精一杯の準備を重ねて当日を迎えました。目標達成には自己ベスト以上の記録が必須という厳しい状況ではありましたが、胸を躍らせながら積極的な展開を試み、挑戦しました。結果として思うような走りができず、悔しさが残る部分も多いですが、これまでお力添えいただいた方々やサポートスタッフの皆さんのおかげで、最後まで諦めずに力を尽くすことができました。今後は、この貴重な経験を糧に、「与えられる人」から「与える人」へと成長できるよう、さらに邁進していきたいと思います。チームジャパンとして臨んだ世界戦は、想像していた通り素晴らしい舞台でした。応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
■福元 翔輝
24時間走への挑戦3回目が世界選手権となり、競技人生の中でも貴重な体験が出来ました。ウルトラマラソン自体、他も2022年の50000mへ出場したくらいで、完全にスピードと根性だけで挑んでいます。今回の4’35-40というペース帯も、私にとってはjogの延長線上でした。トイレの1回を除いて、100km以上走り続っていると順位も一桁まで上がっていました。ただスタート時から喉の渇きを感じており、サポートに訴えたその周に太腿が攣ってしまいました。ここで『一度休んで復活を待つ』という選択を取れば良かったのですが、薬に頼って歩いた際に体温も奪われ、復活の機会を完全に手放してしまいました。
神宮外苑時よりも大幅に気温が高いレースになった中で、発汗や補給への認識も甘かったです。サポートしてくださった方から、レース後に「何も出来ずにごめんね」と伝えられた言葉が残り続けています。これは24時間走でしか浄化されないものだと思っていますし、私自身まだ記録も伸ばせると信じています。24時間走への挑戦は、神宮外苑が最後のつもりでした。思ってもいなかった世界選手権に出場した今、このままでは終われないという気持ちになっています。中学校の先生として、カッコいい先生で挑戦を終えたいです。サポート・応援してくださった皆さまに感謝申し上げます。
■荒井 秀次
2025年10月18日〜19日にフランス・アルビで開催されたIAU24時間走世界選手権に、日本代表として出場しました。初めての世界の舞台。14年間積み重ねてきたすべてを、この一日に懸ける覚悟で臨みました。結果は203.664kmで男子個人99位、男子チームは32位。世界の壁は大きく、高く、厚く、想定していた走りを最後まで貫くことはできませんでした。それでも「世界を知ること」、「日本代表として走ること」の重みを、24時間を通して肌で感じることができました。
大会当日は気温16℃前後と絶好のコンディションでスタート。序盤は計画通りにペースを刻み、穏やかに流れる時間の中で集中して走れていました。しかし、徐々に気温が上がり、4時間を過ぎたあたりから、体に異変を感じ始めました。給水の吸収がうまくいっていないことに気付き、何とか修復を試みたものの、思うように回復せず。そして中盤には、レースでは初めてとなる胃腸トラブルに見舞われました。これまで「胃腸の強さ」を自分の武器としてきたからこそ、その現実を受け入れるのは辛いもので、修復する手段が見つかりませんでした。そこからは、ただ前を見て、一歩ずつ足を運ぶだけの時間。ラスト2時間は「最低でも200kmを超えること」「男子で100位以内に入ること」、この2つが足を進めるモチベーションとなり、最後の最後まで諦めずに足を進めました。レース中、同じコースを何度もすれ違う仲間たちが笑顔で声をかけてくれる。スタッフは寒い夜も眠らずにサポートを続けてくれる。それがどれほど心強かったか、言葉では言い表せません。この競技は「個人戦」であると同時に、確かに「チーム競技」でもあるのだと改めて実感しました。男子チームは目標の入賞に届きませんでしたが、女子チームは見事に銅メダルを獲得。日本代表チーム全体として世界に爪痕を残すことができたのは、本当に誇らしいことです。チーム全員で共有した緊張感、スタート前の円陣、フィニッシュ後の涙、そのすべてが、今も鮮明に心に残っています。
今回、私がクラウドファンディングという形で挑戦したのは、恐らく24時間走日本代表としては初めての試みだったと思います。もちろん渡航費の支援という現実的な目的もありましたが、それ以上に大きかったのは「この競技をもっと知ってもらいたい」という想いでした。24時間走という競技は、華やかな舞台ではありません。記録や順位だけでは語り尽くせない、静かな中に強さと深さがある競技です。走ることを通じて自分と向き合い、限界を超えていく過程には、誰にでも響く“人間の本質的な強さ”があります。クラウドファンディングを通じて、多くの方にこの競技の存在を知ってもらい、「こんな世界もあるんだ」「自分も何かに挑戦してみたい」と感じてもらえたなら、それが何よりの成果です。良くも悪くも、世間の目に触れることによって、新しい関心や議論が生まれ、24時間走という競技が少しでも前へ進むきっかけになればと思っています。今回の挑戦は、自分ひとりのものではありません。支援してくださった方、声をかけてくださった方、多くの仲間、そのすべてが、この挑戦の一部でした。そしてこの経験を通じて、改めて確信しました。走ることには、人をつなげ、希望を生む力がある。
今回、結果としては悔しさが残るものでした。けれど、世界のトップランナーたちの走りを間近に見て、自分の中に新しい目標が生まれました。年齢を理由に限界を決めることなく、これからも挑戦を続けたい。52歳からでもまだ成長できることを、自分自身で証明していきます。次の大きな舞台は、2026年5月に開催予定のIAU24時間走アジア・オセアニア選手権(弘前)。今回得た経験と学びを糧に、また日本代表としてチームに貢献できるよう、一から鍛え直します。
最後に、24時間走という競技の魅力を改めて伝えたいと思います。それは「誰かと比べる競技」ではなく、「昨日の自分を超える挑戦」。苦しみの中に確かな喜びがあり、限界を超えた先に見える景色があります。この競技に出会えたこと、そして世界の舞台で走れたことに、心から感謝しています。応援してくださったすべての皆さま、本当にありがとうございました。これからも“KEEP CHALLENGING”の精神で、前へ進み続けます。
■仲田 光穂
今回は今までよりも、自分の役割をきちんと理解し心に刻んで臨みました。周りには話していましたが、春先から疲労骨折もあったこと、前回優勝させていただき満ち足りていることから、今回は個人の目標はなく、団体戦に貢献する。ただそれだけでした。自分が距離を稼ぐという自覚を持ち、攻めつつも攻めすぎない感覚で走り出し、チームはどんな状況でも必ず守ってくれる。そんな環境だからこそ、自分の世界記録を上回り自己ベストという、願ってもない結果に繋がりました。走力もまだまだ足りていませんが、上位2人と比べて1つ弱かった点としては、世界記録保持者として臨む覚悟と、それを抜かれる覚悟、色んなものが精神的に足りていませんでした。でも、日本の他選手、サポート、現地や日本から応援してくださった方のお陰で、世界のレベルが上がっている中でも団体銅メダルを獲ることが出来ました。一人じゃできないことを、皆で達成できて、本当に幸せです。沢山の応援、本当にありがとうございました。
■兼松 藍子
24時間走の代表は4回目、アルビ大会は2019年に続き2度目の挑戦となりました。前回の台湾大会では故障のためチームに迷惑をかけたので、今回こそはと練習に励み、真夏の2ヶ月で2000km以上走り込み、自分としては最大限の練習量で大会を迎えました。
疲労抜きもうまくいき、調子は悪くなかったのですが、苦手な暑さに今回も苦しみ、序盤から足止めの多いレース内容となってしまいました。その上低血糖の症状まで出てしまい、2度目の長い足止めは精神的にもとても辛かったです。ラスト2時間は団体メダルをかけての接戦となったため、何が何でもという思いで脚を動かしました。脚だけは常に元気な状態だったので、ラストスパートできたのは練習の成果だと思います。
何度走ってもなかなかうまくいかない24時間走ですが、だからこそ、次こそはと試行錯誤しながら練習を重ねていく楽しさがあります。また今回はキャプテンとして参加させていただき、今まで以上にチームのこと、チームにとって何が最善なのかを考えて参加できたと思います。この経験を今後に生かせるよう、努力していきます。熱心にサポートしてくださったスタッフ、応援してくださった方々、ありがとうございました。
■加藤 千代子
選手・サポートの皆様、応援・ご支援していただいた皆様、本当にありがとうございました。今回は2回目の世界選手権でしたので、前回よりも良い成績を目指していました。前回の失敗を活かして頑張りたかったのですが、実際は時差等睡眠不足や食事の対応が上手くできず、残り4Hは24Hで初めて眠気がきてかなりペースが落ち不甲斐ない走りになってしまい情けなかったです。そんな時に他の選手の皆さんは必死に頑張って走っていたので、何とか頑張らないとと私は向山選手に引っ張ってもらい、最後まで走ることができました。なので向山選手は本当はもっと走れていたことをここに記したいと思います。多くの方々に応援・ご支援していただきながら、ベストパフォーマンスが発揮できず、本当に申し訳ございません。前回ももう最後にしようと思って出場したのですが諦めが悪く、できればもう1回挑戦したいと思っています。世界のレベルはどんどん上がっているので、私自身ももっともっと強くなれるように頑張ります!
■向山 由美子
2025 IAU 24時間走世界選手権、女子4名枠のギリギリ4番目として、参加させていただきました。結果、実力も伴わず個人としての記録は出せませんでしたが、チームJAPANとして協力して団体戦メダル獲得に少しだけ貢献できました。参加する前は自分の存在に意味は見出せませんでしたが、あの場所に身を置き、空気を感じて、そして何より国内で何度も見ていたチームメイトの顔が今まで知っていた顔と全く違っていて。国を背負った皆んなのために、何かしたい、すべきだと強く思いました。きっと毎年、参加する選手によってチームの雰囲気は違うと思いますが、私は今回のこの個々より団体を尊重する、まさに『チームJAPAN』を意識していた今年のメンバーの一員として参加できたことが喜びと誇りです。